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お茶壺道中 [お茶にまつわる話]

お茶の事を調べていると…色々と面白い(?)話にぶつかる事がシバシバですが…

この「お茶壺道中」等もその一つかもしれません(・▽・)?

足利将軍家により開発をされた「宇治茶」を飲むと言う風習は、徳川の世になっても受け継がれて
幕藩体制が固まった、徳川家光の時代には「宇治採茶使」と言う名称で、一つの制度になっていきます。
(※1633年の事)
(ちなみに……初代の宇治採茶使は、朽木友綱:近藤用行:安藤正珍:押尾守勝の4人)

江戸を発して京都に向かい…帰りは(往路はか)「中山道」「甲州街道」を伝って江戸へ…

この「中山道」「甲州街道」を通るのは、湿気の多い東海道を通るのを避けるという意味合いと
(※当時は、「川」に橋が架けられておらず(大井の渡しなどからも)、もろ湿気の影響を受けたらしい)

所謂“口切りの11月”に時間的に揃えると言う意味で、甲府で熟成をさせていたと言う事の様ですね。

良く良く言われている事ですが…?

「お茶壺道中」の各式は高く、御三家よりも上と言う格式から、色々と問題も多く…
(※ 北宋の徽宗の”花石綱”の様な…w)
岡山藩の池田候”の様な、なにやら水戸黄門じみたお話も伝わっております。

この格式ゆえに、宇治の上林は「苗字帯刀」を許されたと言う事も、その一端でしょうか (@_@;)

「足利将軍家」に倣う「柳営茶道」の構築を担った”お茶壺道中”……

「ずいずいずっころばし」の唄がうたわれる様な「御物」としての「お茶」は、貴重品であると言う事の他に
国家安康を成し遂げた徳川幕府の権威を象徴するものだったと言えるのかも知れません。

(・▽・)/ 「ちなみに…朽木友綱…と言う人は、信長の野望でもお馴染みの朽木元綱…どちらかと言うとリリースするキャラ?の息子さんですw」


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