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蒟醤 [茶道具]

「蒟醤」……(・▽・)……「コンニャクの”こん”にショウユの”しょう”」って書くものな~~んだ?

「キンマ」と読むのが正解です♪

【蒟醤】

元々は、ビルマのマンダレー地方に生えている「檳榔子」の実を石灰と一緒に噛むと言う事が行われており
その「檳榔子」の事を「キンマ」と読んでおりました。(※ 現地では今も噛んでます)
今で言う、「キスミント」や「ブラックブラック」(或いは「森下仁丹」w)と言った所ですが…
その「キンマ」を入れておく容器の事を「キンマ」と読んだそうな♪

(・▽・):「檳榔子」は「キンマ」 「噛む事」を「マーク」と呼び、「檳榔子」を噛む事を「キンマーク」と…
      そして、「キンマーク」が短縮されて「キンマ」となった、と。

さて?

その「キンマ」ですが…発祥の地であるビルマ(緬)から…

「ビルマ」→「タイ」→「アンナン」(安南:ベトナム)→「中国」へと渡り、漆器として発展をしていく事になります。

その後…室町時代になり、倭寇により南方の物産や文物が多く流入する事になり「キンマ」も日本に入って来る事になります。

(※日本での「キンマ」は、江戸時代の高松藩により天保4年 玉楮象谷(たまかじぞうこく)により、初めて作られる事になります)


つまり…当時としては「舶来」…もとい「南蛮渡来」と言う位置づけになる高級品であったようで…

江戸時代初期には「茶屋四郎次郎」等により朱印船と共に持ち帰られたりしていましたが…

何と言っても?「利休百会記」に出てくる「きんま手」と、利休が好んだとされる「利休蒟醤茶箱」の存在を忘れる訳にはいきません。

「唐物」をどちらかと言えば忌避した”利休”が「キンマ」を使うと言う事は一見矛盾もしそうですが…
まあ、利休とて、「唐物」を完全に排除していた訳でも無いでしょうし、
「キンマ」自体に「呂宋壺」と同様に「価値の転換」を見出していたとすれば、それはそれでと (・▽・)/

(そして、この「利休蒟醤茶箱」に仕覆として”加比丹裂(甲比丹裂)”を用いたのが、表千家11代の碌々斎と言う事になりまする)

この「キンマ」、江戸時代においては「馬」の模様と合わせて使われる事が多く、江戸時代の人の洒落?
が利いていたと言うか何と言うか、「金馬」と言う風に呼ばれたりする事も……

何となく、マイナーな感じの「お道具」ではありますが……(;一_一)

東京国立博物館には、かの”松永耳庵(松永安佐ェ門)”が寄贈した「怪獣蒟醤小壺」と言うモノがありまする。

近代数寄者の一人のお目に適った一品……の「キンマ」……

元々は「キスミント」入れの「壺」だった…と言うのも、なかなかに(w



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