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備前の効能 [茶器]

お茶道具で色々な局面で登場する「備前焼」……

不心得な私などは…”備前焼イコール菓子鉢で使いたい♪”みたいな連想が働くのだが……

ま、それは御愛嬌として……どうやら、この信楽を使うのは、器としての色や塩梅と言う事の他に、「水を腐らせない?」と言う実際的な効能もあるらしい。

あくまで、「あるらしい」と言う事は、実際に試した事が無いので正直なところは解らないのだが(…まぁいずれ試してみようとは思っているが…)

千利休ほか、茶の湯が勃興しだした当初の時代においては「水」と言うモノは、今のように水道の蛇口を捻れば直ぐに出てくると言う品物でもなかったのであろうから……

まさに“貴重品”であると同時に“命の水”と言う事だったのであろう。

そう言う意味で「備前」が重用されると言うのは、なかなかに実際的な「用の美」と言うモノが盛り込まれているな……とも思う訳です。


“火の芸術”とも言われる「備前」が”水”に関わると言うのは、まさしく奇遇な感じもする訳ですが……その辺の面白さが茶の湯の醍醐味でもありますね。

(・▽・)♪
タグ:備前焼

笹の葉 [茶器]

東山御物(ごもつ)に名を連ねる茶杓である「笹の葉」……

八代将軍足利義政の作とも伝わる由緒正しき茶杓であり、その後の一つの範を示す事にもなった茶杓であるが……

そもそもは、宋から明にかけての中国の薬サジにも似ている所があり、そもそもは「薬」であったお茶との関わりが示唆されているようで興味深い。

先日の「宋胡録」しかり「呂宋壺」しかり、日本の茶器は世界の道具を用いて行われている事が多い。

そう言う意味で、”お茶”はワールドワイドなモノなのだろうし、藤原定家の詠歌大慨における「本歌取り」的な思想を根底に反映させているものだと言う事も何となく。(w

いずれにしても……”何をその中に見るのか?”と言う事と”見立て”と言う事とが絡んで来るのは、楽しい事でもありますね。

エフゴ [茶器]

茶会記などを観ていると……時々出てくる「エフゴ」……

一体何のことやら…( ..)φメモメモ と想いつつ……調べると……

どうやら、本当は「餌畚(えふご)」と書くモノで……元々は鷹匠(たかじょう)が鷹に餌をやるための器に似ているから…と言うのが、名前の由来であるらしい。
(之については、鷹匠由来のものでは無い……と言う考え方もあるようですが…)

いずれにしても…?

当時(安土桃山時代)しては、さほど珍奇な物では無いモノをして道具に仕立てた利休のコンセプトが伝わってくるものではあります。

「袋状」の形状から、「水指」や「建水」に良く用いられますね☆

宋胡録 [茶器]

有名な香合である、”柿の蔕”……

まさに、”侘”っぽい艶を見せている香合ですが、「形物香合番付」の最上段前頭6段にも序せられている名品。(現地での”マンゴスチン”が日本で”柿の蔕”と見立てられている事にも注目)

タイのスコータイ朝期における、最盛期の国王であるラーマカムヘンの指導により作られたとも言われておりますが、名前の由来としては主な生産地である「サワンカローク」の音が日本風になったものと考えた方が素直でしょうか。

白地に鉄で彩色する感じでの絵付けをしますが…

その度合いの良いモノ?が、生産地であるタイよりも日本に多く存在している……と言う不思議さに、一つの縁を感じるところでもありますが……16世紀位にかけて残念ながら衰退をして行ってしまっているのは、スコータイ朝からアユタヤ朝への変移期と言う事も影響をしているのかと思いますが、輸出先であった日本や中国の鎖国政策や王朝交代期(明→清)も重なっていると言うのもあるのでしょう。

そもそもは”蒟醤(キンマ)”を入れるものとして作られたと言う宋胡録ですが、そう言う意味では、”呂宋壺”と同様に本来の目的とは違う指向で日本で珍重された“器”と言う事になるかと。

白地の鉄彩が、素朴な雰囲気を醸し出している宋胡録ですが、それはタイの生活に根差したモノゆえの力強さがそこにあるからかもしれませんね?
(タイ本国では17世紀以降、暫し焼かれておらず幻の陶器だったようですが、1965年ころから、再び作られている…との事です。)

りんき壺 [茶器]

今、流行りの”へうげもの”こと、古田織部にかかる茶器ですが……

その名の通り、「りんき」…”やきもち”の壺と言う変わった名称がついております。

これは、古田織部の奥方が、焼きもちを焼いた…と言う由来を持つ壺……

まあ…これは、別に「壺」や「茶器」と言う事に限った事では無いと思いますが(?)

それこそ、モノによっては「食べ物」「鉄道」「着物」「普請」「庭」「蝶」「動物」…etc

挙げたらキリはありませんが(w

端的に言うならば、”耽溺する”と言うのは、「一つの人間の業」の様なものなのでしょう。

それを、古田織部が……となるのは、織部がその「お話」(由来)に相応しい人物として仮借するのに丁度良かったと言う部分も大きいでしょうか(w

とは言え…(^◇^)


「へうげもの」など、「りんき壺」など、と言われる位に没入なり、打ちこまなければ、その愉しさも見えてこないのも一つの真実なのだろうし(?)

逆に、そこまで”耽溺”できるモノがあると言う事は、一つの幸せでもあるのだと……

そんな…「人間の業」を象徴するかの様な「りんき壺」…その名称もともかく、その名前を付けた人物の観察眼とユーモアの洒脱さの方も、心のどこかにとどめておきたいと思います。(w


(・▽・):「うつろいも 掻き立てる世の りんき壺 今も昔も 変わらぬ定め」

 

楢柴肩衝 [茶器]

天下三肩衝の一つとされる、「楢柴肩衝」
(※ 三肩衝とは、「新田肩衝」「初花肩衝」「楢柴肩衝」の三つをさす。)

元々は、足利義政の所有であったとされるが……

【足利義政】
  ↓
【堺の商人】
  ↓
【島井宗室】(博多商人)
  ↓
【秋月種実】(九州北部の秋月藩)
  ↓
【豊臣秀吉】
  ↓
徳川家康

と言う来歴を辿る……

①:島井宗室は織田信長にしつこく所望されたようだが…本能寺の変
②:秋月種実は大友宗麟にしつこく所望されたようだが…大友家は衰退

と言う感じで…どうも、所有者を選ぶ(?)と言う感じがチラホラ……

(※ 勿論、豊臣秀吉が秋月種実からの入手は、九州征伐による本領安堵への意味合いが強い事は公然の事実ですが……)

道具(に限らずですが…)とは”出会いのモノ”とは言え……

何かの宝石のように、ちょっとした意志を感じます。

【家康】の所有物になってからの「楢柴肩衝」のその後ですが……

何と!? ”明暦の大火”により消失……

(;一_一):「道具に選ばれるのも、また奇縁かな」


七官青磁 [茶器]

「青磁」と聞けば……”馬蝗絆”と言う位に、青磁の位置づけは高いものがありますが……

単に、「青磁」と言っても、なかなかに区別が難しい部分ですが…

日本においては、特に「七官青磁」が珍重されている(?)と言う事もあり……

「七官青磁」って……なんですか? (・▽・) みたいな(w

日本において、重要な「青磁」の分類としては…「砧青磁」「天竜寺青磁」「七官青磁」と都合三種類。
(※ 但し、最近では、この分類を始め……色々と相対的な部分も)

【砧青磁】:南宋
【天竜寺青磁】:元初~明初
【七官青磁】:明末

と言う時代区分であります。

つまり、「七官青磁」と言うのは、明朝が衰退に向かっている時代の「青磁」と言う事になる訳です♪

「青磁」の出来不出来と言う事で言えば…「南宋期」の「砧青磁」の方が完成度が高いのですが…
(※ もっと細かい事を言えば…かの風流天子 徽宗 の時の汝官窯のモノの方が良い)

日本で「茶の湯」「茶道」が確立して行ったのが「明朝」の後半~「清朝」の初期と言う事になるので
時代的に「七官青磁」がもてはやされると言う事にもなった訳です(「呂宋壺」と同じ考え方ですね)

また……これも、不思議な部分ですが…何故か、「官窯」のモノでは無く、「民窯」のモノである「龍泉窯」のモノが好まれていた…?と言う不思議 (・▽・)?

これは、「官窯」のモノが入手しづらかったと言う事もあって…(多分に、官窯の物は明朝の宮中ないし、勘合貿易で入手と言う経路だったかと思いますが…その頃には、勘合貿易も途絶えがち…と言う事情も)
「民窯」の「龍泉窯」のモノが入手しやすかったと言う事になるのかと思います。

と言う事で…?

日本の「茶道具」としては「七官青磁」が、一番…「侘び」…?に向いていた……
と言う事になるのか、と。

※ 「王朝の茶」と言う事では…「砧青磁」と言う事になるのだと思いますが (・▽・)/
( 東山文化の影響を受けた「足利将軍家」「大内氏」等が”青磁○○”と言うモノを保持しているのも、当然にその流れと言う事かと…)




タグ:七官青磁

九十九茄子 [茶器]

今は「静嘉堂文庫」に納まっている”名器九十九茄子”であるが……
その来歴の転変さは、名品ゆえの素晴らしさ(?)でもあろうか…

【佐々木道誉】→【足利義満】→【足利義政】→【山名政豊】→【村田珠光】→【朝倉宗滴】→【松永久秀】

→【織田信長】→【豊臣秀吉】→【徳川家康】→【藤重藤厳】→【岩崎家】→【静嘉堂】

\(◎o◎)/!

と言う具合だが……

最初の「足利将軍家」の方々に由来する、いわゆる”東山御物”でもあるのは兎も角…
ミソは、「珠光」が「九十九貫」で購入したと言う点
これが、名前の由来の一つでもありますが(もう一つは、伊勢物語の”百年(ももとせ)に一とせ足らぬ九十九髪 我を恋ふらし俤(おもかげ)にみゆ”から)
どちらが、名前の由来かはともかくも、どちらにしても「名物」としての”お話”には富んでいる訳です

さて……?
「村田珠光」→「朝倉宗滴」→「松永久秀」と言う件から、段々戦国時代の匂いがしてくる所ですが
その後は、時々の為政者の手にしっかりと渡っている次第……(・▽・)/

その後、「本能寺の変」「大阪夏の陣」と2度の戦火をくぐりぬけているのも、なにやら物凄いモノがありますが

初回の「本能寺の変」では、何故に九十九茄子が無事であったのか(この世に存在しているのか?)
と言う点については、「織田有楽斎が持って逃げた」「秀吉が焼け跡から拾った」「もう一個スペアがあった」と…
諸説あるようですが……

(※ 個人的には、どれも面白いですが…ある意味戦火の様な場所で、そのままと言う事は難しい気がするのと、「スペア」?と言うのも、微妙なので(信長が作らせていれば別ですが…そんな事が出来るなら、「茶器」の価値が……無い様な……と言う事で、消去法から「有楽斎」の線をとりたい?感じです)

そして、圧巻は「大阪夏の陣」で、バラバラになった「九十九茄子」の破片を集めて、”漆でついで復元”と言う
「徳川家康」&「藤重藤厳」でしょうか……

実際に「静嘉堂文庫」での「九十九茄子」を見ましたが……
もう、それは見事な…復元ぷり?と言うかなんというか……
どんな状態だったかもそうですが、これを復元した「執念」と言うか、「技術の粋」と言うかに敬服であります。

「信長の野望」的にも「一等級」の名品でありますが……
無論、その由来・来歴からも、正に「一等級」にふさわしい名品でありますな(w
(※ そりゃ、そう言う由来・来歴だから「信長の野望」的にも一等級♪ と言うのが筋ですなw)

タグ:九十九茄子

弱法師(よろぼし) [茶器]

弱法師.jpg

東京国立博物館にある、下村観山の「弱法師」

「弱法師」と言えば、謡曲や浄瑠璃・歌舞伎での「弱法師」が有名な所ですが……

俊徳丸なる人物の苦難の旅と、最後には苦難が報われて幸せになると言うストーリー

この絵は、俊徳丸を描いたモノですが、失明し(らい病)苦難の中で日輪を拝むと言う場面であります。


一方……?

「茶杓」で有名な「弱法師」……

これは、3代目宗旦の苦難の時代を経て千家を復興させた事をも暗に含んでいるモノだとは思いますが

その生き様を反映するかの様な、「一見弱弱しい感じを受け、変化に富む形態であるけれど、しっかりとした存在感」と言うものが、滲み出ている感じがします。

「茶道」「お茶」と言う事を考えていく時に、何故に400年にも渡って続いて来る事が出来たのか?

その”逞しさ”の背景には、ギリギリまでのバランス感覚と融通無碍さが、一つあったからではないか…
と思ったりもします。

「弱法師」……は、正に、その”茶道”の源流をツマビラカニしている、一つの象徴では無いのかしらん(・▽・)
と。

「残って行くものは、偶然」と言う向きもあるとは思いますが……
「その偶然」と言う「必然」を呼び込むにも、それなりの”作法”はあるのではないの?
と、ここの所、思ったりもする訳です。


タグ:弱法師

茶筅の色々 [茶器]

お茶を始めて、色々な事に気が付いたり、ぶつかったりするのだが……

「茶筅」…(;一_一)

実は、これが曲者で、「表千家用の茶筅」は、良く市販されている「茶筅」とは違うと言う事……

安価で良く使われている「茶筅」なので、これが「共通」の茶筅と思ってしまう訳だが…

そこは、ちゃんとお茶道具屋に相談(電話で良いと思うが)をしてから「購入」した方が良いだろう

まあ、「お値段」は色々でありますし…代用のモノもあるようなので…そこは使う人の判断(?)でしょう。


※ 一般の良くある市販されている「茶筅」の多くは”裏千家用”のものが多い傾向(80本:100本など)

「表千家:煤竹」
「武者小路:黒竹」

「利休形」と呼ばれる「茶筅」の形状を一番受け継いでいるのは「武者小路千家」の茶筅ですかね。

タグ:茶筅 煤竹

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