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織部と魯山人 [茶人]

何となく…「織部」と「魯山人」に共通性を感じるのは私だけだろうか……?

共に“美”を愛し…美に耽溺した…と言う所の共通性は勿論の事…作風と言う点でも似ている様な気がする。

ここは…敢えて「気がする」と言う表現にとどめておきたいが…それは、魯山人自体が織部の作風にインスパイアーされている部分もあるだろうから…そう言う意味での“先駆者”は織部…と言う事になるのだろう。

ただ……”魯山人”に関しては”織部”に無い鮮烈な”自らの作意の実現をする作為”と言う事があるだろう。

単に陶工に指示をして作風を生み出した「織部」と…自らが土を捏ねて作風を作り出した「魯山人」とでは…その”拠って立つ立場”や”視点”も違う…と。

ま……そんな事が浮かんだりもしたので…(・▽・)♪

今後の「茶の湯」を観て行く視点にしていきたい…と想ったり。

タグ:織部 魯山人

松浦鎮信 [茶人]

平戸の大名…「松浦鎮信」(まつら しげのぶ)

平戸・長崎の戦国大名の名前を受け継いだ4代目の藩主。

日本史の方としては…「島原の乱」や「オランダ商館」との兼ね合いが有名になりますが…

我々の様な庶民の楽しみとしては…「忠臣蔵」や「茶道の鎮信流(ちんしんりゅう)」と言うところでしょうか (・▽・)

テレビやドラマ等で有名な「忠臣蔵」の討ち入りの際、吉良上野介の屋敷の隣に住んでいると言う設定になっているのが、この「松浦 鎮信」と……
(※ 他は、御家人の「土屋主税」のどちらかのバリエーション)

その討ち入りの際に、大高源吾の師匠である宝井箕角が松浦鎮信の屋敷にも出入りしており…赤穂浪人である大高源吾とのやりとりで「松浦鎮信から拝領した羽織」を大高源吾にあげてしまった事…その時に、有名な「あした待たるるこの宝船」と言う返歌をした事が…

その際に、宝井箕角から返歌を聞いた松浦候が赤穂浪士の討ち入りを返歌から推測すると言う件と……討ち入りの際に、同じ山鹿素行の門下であった浅野長矩へのシンパシーを募らせてか……赤穂浪士の見方をする?と言う事が出てきます
(※ 所謂…「松浦の太鼓」と言う歌舞伎ですね (●^o^●))

と言う感じや…映像からすれば…大変に無骨なイメージを持ってしまう所ですが……

石州流の免許皆伝を受け…新しく「鎮信流」と言う一派をも開いています。
(そう言う点では…井伊直弼にも似ている感がw)

「オランダ」との交流…かたや山鹿素行などとの交流…など巾の広い視点を持った…「松歌鎮信」……そのバランスの妙に興味を覚える所ではありますね☆

タグ:松浦の太鼓

松永久秀と言う人 [茶人]

戦国期の梟雄として名高い”松永久秀”…またの名を”松永弾正”

かの織田信長曰く:「この老人は、余人が出来ぬ事を3つもしている油断の出来ない老人よ」

①:三好家での暗殺劇
②:13代将軍義輝の暗殺(永禄の変)
③:東大寺大仏殿への放火

この3点を、信長は家康に紹介するときのコメントとしてあげていますが……

一つの”下剋上”の体現者として、信長には「先輩格」として映ったのかもしれません。

とは言え……

他の逸話としては……?

【クリスマス停戦】

主筋である三好長慶亡き後の三好家の実権を握る闘いの中で、自分の形勢が不利であると観て、”クリスマス”を理由に停戦に持ち込みます……

これは、三好家が支配する「堺」を周辺に南蛮人の影響が大きかったと言う事と、畿内においてキリスト教がそこはかと無く、浸透していたと言う事でもあるでしょう。

しかし…? 実は、松永久秀自体は、以前にバテレン追放令を出していたりもするので……
何とも、御都合主義的な部分を感じるところではあります (;一_一)

【閨房術】

松永久秀を語る際に出てくる……「閨房術」……

曰く、逸話では、布団から首を出しつつ……部下に指示を出していた(?)いないと言う事から……

昵懇にしていた”曲直瀬道三”からの指南を受けて(曲直瀬の「黄素妙論」をベース?)著作にも励む…と言う事も……(@_@;)

まあ、要するに、まさに「数寄者」と言う事でしょう……

【茶の湯&爆死】

このブログの本筋としての「茶の湯」との関連であれば……

①:「九十九茄子」の所有者:これは、信長の畿内進行の際に信長に降伏のしるしとして献上……
②:「平蜘蛛」を巡る話し:2度目の謀反の際に、この茶器を渡せば助命するとの条件を蹴って爆死…(;一_一)
   爆死は兎も角も…「平蜘蛛」自体は本当に飛び散ったかは不明…とする説も……

③:「霜台」……茶会記では「霜台」と言う名称で参加しています…
   (永禄8年1月19日の茶会:利休も参加)


まあ、要するに”才人中の才人”であった、能ある鷹は爪を出す…と言う典型であったと言う事でしょう(w


利休…織部…遠州 [茶人]

何となく…「茶道特集」的なモノを横目に…観ていた時に…ハッ?となったのが…

「利休」
「織部」
「遠州」

の三人の比較…と言うかが出ていて…色々な視点からの整理がされていたのだが……

彼らの「作風」と言うか「視点」と言うのは……その時々の世相であったり社会情勢と言う事と無縁ではないな…と思う部分がある…(・▽・)

「利休」の時代を:戦国時代の終息から安定期へと向かう時期
「織部」の時代を:一時的な安定期から再度の動乱へと向かう不安定な時期
「遠州」の時代を:秩序が定まって行く中での時期

と言う様に、それぞれのベクトルを整理するならば…その「作風」は、自ずから理解できるような気がする(w

その中で…何が良いか?と言う事は無く…
”何が好みか?”と言う事になるのだろう…

そう言う意味で…「〇〇好み」と言う名前の付け方は…何となく理に適っている?と思ったり…(^◇^)

今…「へうげもの」と言うマンガが脚光を浴びているが……

あの「ぐにゃぐにゃ感」が醸し出す織部の作風が、まさに混沌の世にある現在と符号する…?

と言う様な気がするのは……あながち…間違いではないのだろう…と

あの「グニャグニャ感」を以てして…この時代を突きぬけていきたい(突破していきたい)と言う

皆様の想い…と言うモノがシンクロシティな感じで投影をされている…のでしょう…\(◎o◎)/!

”力強い茶道” ”迫力のある茶の湯”と言うモノの足音が聞こえてきますな(w

丿貫(へちかん) [茶人]

丿貫……「美味しんぼ」他「へうげもの」でも出没している…”茶人?”であろうか……と言う御仁だが…

まあ、「奇行」を良く行ったと言う事と「侘」との関連とか……色々と関連付けられる部分はありますが…

【丿貫の色々】

1:「風呂」の逸話

千利休との逸話になるが…利休が丿貫に招かれた際に、泥の穴に落とされて(落ちて)…その後に風呂に入った後の「茶」が、非常に爽やかであった…

これは、「爽やか」と言う事で捉えるのでは無く…?

「亭主(丿貫)」の気持ちを「客」が汲んで、わざと泥の穴に落ちた後での爽やかさを満喫する…と言う「含意」を汲みとる事……そこに「主客一致」を見てとれると…

2:「手取り釜」の逸話

丿貫は、いつも一つだけの手取り釜で、茶も沸かし…粥も炊き…色々と……
このクダリの逸話は、かの「美味しんぼ」の「究極の鍋」の部分で京極&海原&唐山陶人の所でも「お馴染み」さんとして出てくるが……

まあ、「利休道歌」的には……「さびたるはよし」と言う”さび”の概念との関連と捉えられる…?と

個人的には、”粟田口善法”を彷彿させるのだが……(;一_一)

3:「北野茶会」の逸話

秀吉主催の北野大茶会での「紅い唐傘」と「諸役免除」の逸話は、音に聞こえて久しいが……

まあ、この辺を「狙った」のでやらないとは思えないので…”藤堂高虎”ばりの知謀の士と言う気がします…
(「狙ってない」のであれば、まあ、天然キャラですが…)

4:「曲直瀬道三」との逸話

曲直瀬道三の娘婿との話もありますが……もし……そうだとすれば…”松永久秀”あたりとも巧くやったのでは?と思ったりもする訳ですが…

もとい…この曲直瀬との関連で「丿貫」を「丿桓」に直すと言う事が出てきます……

「桓」の字をバラスと「木」プラス「旦」プラス「一」……

これを組み合わせて「日本一」……

なおかつ…丿貫の丿は……「乃」を崩したモノとされているので……「日本乃一」と言う判字ですな…(@_@;)

5:「下駄」の逸話

どうやら……露地で「下駄」を履くのは……丿貫由来との事……


まあ……本当に…色々と逸話がありますが……「茶人」云々と言うよりは……

“知恵比べ”的な「一休とんち話」の様相が漂いまする……(・▽・)♪


タグ:丿貫

井伊直弼と茶道のちょっとしたまとめ [茶人]

前回、「井伊直弼の茶道観」と言う事を書いたが……

井伊直弼の茶道人(?)としての業績を一まとめに…(・▽・)「なんか山川の日本史用語集みたい♪」

【一期一会】:原典は「山上宗二記」によるとされるが「一期一会」と言う言葉を作ったとされる。

【考え方】:「一期一会」「余情残心」「独座観念」

【著作】:「入門記」「茶湯一会集」「井伊大老茶道談」「閑夜茶話」「炭の書」「灰の書」

【流派】:石州流宗猿派 

【号】:宗観

【茶室】:澍露軒(じゅろけん:埋木舎の中にある)

【お菓子】:益寿糖(長野主膳に贈ったとされる)、埋もれ木

【井伊家十二月棗】:「正月」:柳竹に鶯蒔絵黒漆塗大棗
            :「二月」:菫に雲雀蒔絵溜塗中棗
            :「三月」:桜に雉子蒔絵朱漆塗薬器
            :「四月」:卯花に郭公蒔絵蝋色塗面中次
            :「五月」:橘に水鶏蒔絵潤朱塗刷毛目白粉解
            :「六月」:撫子に鵜飼蒔絵透漆塗金輪寺
            :「七月」:女郎花に鵲蒔絵潤朱塗下張棗
            :「八月」:萩に雁蒔絵紅溜塗八角中次
            :「九月」:薄に鶉蒔絵透漆塗平棗
            :「十月」:残菊に鶴蒔絵黒塗漆叩塗雪吹
            :「十一月」:枇杷に千鳥蒔絵洗朱塗丸棗
            :「十二月」:早梅に水鳥蒔絵溜塗割蓋

下間頼竜 [茶人]

「信長の野望」をやり込んでおられる方であれば、”お馴染み”の「本願寺坊官」シリーズの「下間ファミリー」の一員さんです(w

まあ、ゲームでの「下間ファミリー」の方がたの実力を述べる場ではありませんが……
今を遡る事「天翔記」あたりでの、門徒衆ユニットの「進めば極楽 退けば地獄」ドンドンドンドン♪
と言うイメージが頭をよぎります(・▽・)/

と言う事はともかくも……

ここで、「下間ファミリー」についてのお勉強と♪

そもそもは「摂津源氏」の”源宗重”を祖とし、この”源宗重”なる人物の倒幕失敗による罪科を救ったのが
かの「親鸞聖人」……
それ以来の忠臣と言う事になるようで、「親鸞」に同行して、「茨城県下妻」に下った事から「下間」を名乗る様になったそうな………(・▽・)ヘエ~

と言う流れの中での「下間頼竜」ですが……

【1】:「石山合戦」の休戦の際の書類へサイン(←それだけ偉いと言う事…実務派としてですが)
【2】:「天王寺屋会記」に登場

と言う、「文治派」の代表と言う事になりますかね。
「天王寺屋」と言うくだりで言うならば、「天王寺屋」つまり「津田宗達」が、本願寺の宗派であったと言う事からのお付き合いであったと思われますが、この辺の繋がりが当時の「茶人ネットワーク」の一端を覗かせてくれて面白い部分ではあります。

「石山合戦」後の下間頼竜は、教如側について東本願寺の方に付いて行く事になりますし……
なんと、「池田恒興」の養女の娘婿になって……\(◎o◎)/!
息子は、「池田姓」を名乗ると言う事になっていきます……う~~~ん

まあ、戦国の世を逞しく生き抜いた(生き抜く?)……と言う事でしょう。

「お茶」の意味合いは色々とあれども…「楽しく」と言う事も本義の一つでしょうから(?)
そう言う意味での「茶人ネットワーク」は、今も昔も変わらぬモノと言う事ですかね(w


余談ついでに言えば……「下間」と言えば…「下間緞子(下妻緞子・少進緞子)」と言う形でも登場します。
「鳳凰紋」の「裂」ですが…「足利義政」の「白極緞子」と同系統に属すると言う事で。


近衛家熙 (予楽院) [茶人]

予楽院……「予楽院裂」で、初めて出会う人も多いのではないかと思いますが…?

「予楽院裂」…白地の風通に薄茶の糸:唐花を台付の鉢に植えこんだインド様式の裂:銀モールでベージュが好対照
と説明をされる…(・▽・)

が、まあ、江戸期の公卿であらせられた事からも、有職故実はおろか、書道や水墨画にも秀でた
まさに、当代随一の生粋の文化人であった方ですな(w

もちろん、文化的な偉業として「大手鑑」を編纂し、後の「陽明文庫」に繋げて行った事はもちろん

「茶杓箪笥」や「308回にも及ぶ茶会記」等を残したと言う点でも御活躍…\(◎o◎)/!
(予楽院の活躍を知るには、侍医の山科道安の「塊記」による所が大きい)

さらには、黄檗宗の百拙元養に寄進をして法蔵禅寺の礎を作る等の功績も……

と、まあ、なかなかに御活躍された「お公家」様であった訳ですな(w
(准三后宣下がなされているのも、その辺の現れでしょうが……)


「生まれながらの数奇の道」と言うのは、「お公家」さんに対して言う事ではないと思うので
(何分、義務でしょうから…(;一_一))

「自らの使命を、しっかりと全うされたお公家さん」と言った方が適切ではないかな?と……(w

まあ、「裏山鹿」ではあるのですが…(^_-)-☆

井伊直弼の茶道観 [茶人]

井伊直弼と言えば、茶道に関して「一期一会」「埋木舎」と言う事が思い付くし、「石洲流」の大家でもある。

井伊直弼を”茶人”と言う括りだけで捉えるのは難しいはもちろんだが、”政治”と”茶”と言う事での一つの在り方を示しているのも、この人ならではだろうか?

「ちいさな資料室」と言うサイトの資料325に収録されている「茶道の政道の助となるべきを論へる文」を観てみると、その「政治」に対する直弼の考え方が窺えて面白い。

”富者”も”貧者”も共に楽しめる…と言うくだりがある。
そして、「楽しむが故に足りているし、足りているが故に楽しい」と、ま、一種屁理屈っぽい部分も出てくるが
「お茶の精神や考え方」が、国を治める上で(人々の生活や日常の上で)の一つの支柱となると言う事を書いています。

”安政の大獄”のイメージから、極めてチカラ押しのイメージが漂う「直弼」ですが…

「万人の丸くなる」と言う事の思想の根底に「お茶」が流れていると言うのは、なかなかに大きな事かと。

”井伊直弼”の評は色々ですが、その「万民の楽しみ」がなされる事を理想としている……と言うのは
「直弼」の一つの茶道観でもありますね。

荒木道薫 [茶人]

利休十哲に入る「荒木道薫」

本来の名は「荒木村重」………信長の野望でも、”へうげもの”でも登場する戦国期の武将ですが

織田信長に謀反して、後に豊臣秀吉に許されて御伽衆になると言う人生を歩んだ
なかなかに、奇奇怪怪な人物……?

そもそも、織田信長に謀反をする人物としてクローズアップされる事が多いですが…
ま、謀反出来るくらいな、それなりの武将であったと言う、一応の評価(?)をしてみたい部分です。

この際に、「村重」本人は逐電……毛利領の尾道で隠遁生活に入ります。

隠遁中に「道糞」…(どうくん)と称しますが…それは、妻子を捨ててまで遁走した我が身を嘲っての雅号ですが……
しかし、考えようによっては、謀反を起こしたり…妻子を捨ててまで…等の事をやってのけた人間が、自らを「道ばたの(犬)の糞」と言う事には、やや矛盾?もあるような気がします。

まあ、もちろん、人間なぞ、矛盾に満ちた存在と言う事を考えれば、そんな細かい事はどうでもよいのでしょう。

その後、「村重」は、豊臣秀吉に赦されて「道薫」と名乗ります。

「糞」→「薫」と同じ「クン」詠みでの「薫」と変えさえた秀吉にも頭が下がりますが、そこに茶人としての秀吉と荒木村重とを結ぶ何かを感じます。

その後、「村重」は、かっての部下の高山右近を巡る秀吉とのやりとりで、御伽衆を外され、失意の内に亡くなります。

信長の野望の「家宝」では、おなじみの「荒木高麗(あらきこうらい)」と「兵庫(ひょうご)」
「兵庫の壺」は、小説にまでなっておりますが……

なかなかに、一筋縄ではいかないが…しかし、何か魅力を備えた人物と言う事になるのでしょうね。



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