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嘉祥菓子 [菓子]

6月16日は「嘉祥菓子」の日……別のいい方では「和菓子の日」「茶菓子の日」等と呼ばれる事もあります。
この日が「菓子の日」であるのは、宮中に白い亀が献上された事を記念して公卿百官に菓子が配られた…と言う事にちなむものであります。
この時の宮中での儀式が、徐々に武家や庶民の間にも広がって行ったのですが、特に「嘉祥」は「勝」に通じると言う事で、武士の間では縁起を担ぐと言う意味もあって大切な行事になっていったのです。
そのため、この日は「嘉祥通宝」を使ってみたり…16にちなんで16文でお菓子を買ったり…と言う事になって行きました。

今日は、その様な「お菓子の日」「和菓子の日」と言う事なのでした。(●^o^●)
タグ:嘉祥菓子

利休時代の茶菓子 [菓子]

千利休の時代の茶菓子が、今の様な“豪勢なもの”で無かった事は有名な事だが……

それは「砂糖」の消費量・輸入量との関連は無縁では無いだろう。

残念ながら、「砂糖」を比較的に自由に使う事が出来るようになるのは、意外な事だが…

”江戸時代の中期”まで…待つことになる訳です。

さて……その様な事情からか…安土桃山時代の茶菓子は、(今から見れば)”変わったモノ”が饗される事になります。

例えば、「シイタケを煮たモノ」等がその代表例な感じになりますが……

果たして”抹茶”と「シイタケ」との相性(?)と言う事になると……「シイタケ茶」とか「昆布茶」…などと言う事が頭をよぎったりもします。


”アミノ酸”と”抹茶”との関連もあるのでしょうが……千利休当時の”茶請け”は、当時の激しい運動条件(労働条件:戦国時代)と無縁でも無いと言う気がします。

一番の「御馳走」→「塩分」と言う事が重視をされた…と言う見方も出来るでしょうか。


”柿”と”西瓜” [菓子]

先日からの話の続きにもなるが…

「柿」と「西瓜」は、日本の茶菓子を語る上で重要な菓子の一つではあるが……

これを“水菓子”と言う事で、そのままを食することが”最上”と言う感じにはなるが…

なればこそ「茶菓子の形」で食べたいと言うのが人情と言うものでしょう。

しかし……「柿」と「西瓜」を「水菓子」以外の御菓子にするのは…難物…

これは、「柿」と「西瓜」に特有の水分によるところが大きい訳ですが…

今の所…色々な「柿」や「西瓜」を使った(模した)御菓子を食べても…なかなか納得がいくのも少ないですかね…

…と言う事もあり…”フランス料理”で何か可能性は無いかな…?と想うのだが…

これも…シェフに相談すると…

(;一_一):「難しいです…何回かやった事があるんですが…味が淡白なので、逆に難しいです」

と言う御言葉を……

と言う事で、実は、人生の一つの目標に「柿」と「西瓜」の御菓子を食べると言う事があったりする訳です(w
タグ: 西瓜

水菓子 [菓子]

ここの所…少々汗ばむ様な日も出てきて…“果物”を冷やしたモノが美味しい♪
と言う感じですが……

この暑さの中…“西瓜”などを頬張りながら思うのは…
「西瓜の水を含んだ甘味」は身体を良く冷やしてくれるなぁ…と。

これは、「水を含んだ上品な甘さ」と言う事と…「食べて身体を冷やしてくれる」と言う“二本柱”の美味しさな訳ですが…

今のように「甘いもの」「冷たいもの」が無く、そもそも“ペットボトル”や“水道”などが無い中での”貴重な水分”と言う事ですから、暑い中で“西瓜”を食べる…と言う事の贅沢さは、想像に難くは無い訳です。

そう言う”果物”を日本では「水菓子」などと呼んだりもする訳ですが…
それは、単純に日本的な表現の美しさ(巧さ)と言う事に留まらず、そもそもの”菓子”が果物に由来をしている…と言う事を改めて感じさせてくれる部分でもあります。

「利休と西瓜」……と言う事は、大分前にこのブログでも書きましたが…

”西瓜の砂糖をかける無粋さ”を利休が怒ったのも、今の暑い時期の「水分溢れる甘さ」を味わうならば…よくよく分かるような気がする訳です。


梅雨を控えて [菓子]

5月31日~6月1日にかけて行われる「更衣」…つまり衣替えですが…

茶道でも5月に風炉に入る様に、一般の衣服もこの6月に変わっていきます。

これは、「夏」を意識して…と言う事も確かでしょうが…その前段階にある「初夏」や「梅雨」を意識しての事…と言う”段階の発想”と言う事も背景にあるのかもしれません。

また、「更衣」と言えば…源氏物語などで想い出される「桐壺の更衣」の様に、”女性の女官”を表す言葉としても存在をしています。

何故に“女官”を「更衣」と呼ぶのか…は不明な部分が多いのですが…日本における”言葉の多義語性”と言う意味で取り上げてみました。

その”更衣”と言う多面性を活かした(?)と言うか…もじったモノとして…

「虎屋」から、この5月30日~6月1日にかけて出される茶菓子が「更衣」

更衣3.jpg

見た目からは想像ができないほど、ちょっと固めの主菓子でもあります。

全体にまぶされている”砂糖”が、下地の硬さと擦れて…まさに衣擦れの様なイメージを想起させてくれる一品であります。

タグ:更衣

枕草子の甘葛 [菓子]

古の甘味が「果物」や「草」にあった事は、有名な事ではあろうけれど……

”枕草子”にある「削り氷」に「甘葛」をかけたモノ……と言うクダリがある。

要するに”平安時代のかき氷”な訳ですが…(^◇^)

今と違って、砂糖の強烈な甘さが浸透していない時代の「甘さ」ですから…きっと、我々が今の時代の「甘さ」よりもインパクトが大きな「甘さ」だったのでは無いでしょうか?

夏の暑い日……クーラーも扇風機も無く…しかも、京都は盆地なので“寒暖の差”が激しい所だったでしょうから、”かき氷の涼”は何よりも”有り難い”ものではなかったでしょうか。

そして…プラス”甘み”の贅沢…と言うのは、まさに“王朝の甘さ(美しさ)”を垣間見る事が出来ますね。

ビスケット [菓子]

南蛮渡来の菓子の一つとして挙げられる「ビスケット」

スペイン語では「ビスコーチョ」と言い…“二度焼き”をする…つまり硬く焼いて保存用にしたもの…「乾パン」のイメージでもありますか。

今の御時勢でも「乾パン」は…余り見かけなくなりましたが……南蛮菓子の「ビスコーチョ」も…伝来当時は余り人気が無かったとか…

その辺は、保存食だったのか…他の南蛮菓子が眩しかったのか…は分からないですが(w

ペリーの黒船の来航時に振舞われている…と言う事を考えると…?

「船に由来するお菓子(保存食)」的な位置付け…として残ったのかな…等と思ってしまったりもする訳です。

「乾パン」→「甲板」に繋がりがあるかは不明ですが…(@_@;)……きっと何かあるのではないか…?と想像を逞しくするのも「南蛮菓子」の面白さでもありますね。

タグ:ビスケット

「長崎夜話草」 [菓子]

鎖国時代の”茶菓子”&”南蛮菓子”を知る上で出てくる「長崎夜話草」

「長崎土産」で有名な”南蛮菓子””唐菓子”がリストアップされている。

南蛮菓子の一例としては「ハルテ、ケジアト、カスティラ、ボール、花ボール、コンペイトウ、アルヘル、カルメル、ヲベリアス、パアスリ、ヒリョウス、ヲブダウス、タマゴソウメン、ビスカウト、パン」とある。

この中でも、近年は幾つかの「南蛮菓子」も復刻され…当時の様相を偲ばせてくれているが(「ハルテ」→”はるていす”、「ケジアド」→”けいじやど” 等など)

これらの南蛮菓子を復刻させたお菓子処の方がたの“情熱”と研究者の方がたの熱意に敬意を表する所だが…

これらの「南蛮菓子」(および「復刻された南蛮菓子」)などを見ると…当時の日本人は「相当にハイカラ」だった事が窺われる。

まず、「名前」もそうだが…「コンペイトウ」にせよ「カスティラ」にせよ…

今までとは違うイントネーションの言葉なのであるのに…それが100年も経つうちに日本にしっかりと馴染んでいる日本人の柔軟性にも注目だろうし…

また、「製法」も南蛮からの材料の輸入が厳しい中で日本風にアレンジをして(「カスティラ」の天火や……「ハルテ」のチーズ変わりの”カボチャ餡”など…)「製造」をしていったと言う”創意工夫”には頭が下がるだろう。

いずれにしても…元々の”南蛮菓子”とは違うけれども…”日本風の南蛮菓子”として取り入れて自家薬籠中のものにしていった点は、”如何にも日本人らしい”と言うエピソードの一端ではないだろうか?

タグ:南蛮菓子

くるみ餅 [菓子]

”胡桃餅”と言えば……”信長の野望家宝の一等級”の誉れ高きお菓子でもある。

しかし……その”胡桃餅”……

”胡桃”を使って作るのかと言えば……そうでは無い…(@_@;)

何となれば…”くるむ”+”餅”が、元々の語意であり……胡桃を使う”餅”の方は、今風の発展形であるとの事……

では……”くるみ餅“発祥の地の”堺”では…「何をくるむのか?」

それは、枝豆ほかの“豆”……と言う事なのだが……

実物を見ると…”何と!東北のずんだ餅”の様…(@_@;)

その辺に…文化の面白さを感じますが…(w

興味を覚えられた方は、是非”かん袋”と言うHPをご覧いただくと良いのかも。
タグ:くるみ餅

”砂糖”と茶菓子 [菓子]

日本の茶菓子の歴史を考えた時に…”砂糖の有無”と言う事は非常に大きな分岐点である事は周知のとおりだろう。

実際に砂糖が初めて日本に到来したのは…かの鑑真和上の来日時における“黒砂糖”と言う事になるが(孝謙天皇に献上)

日本では栽培技術や栽培地域に関する事も心許なく…本格的な生産の開始を待つ徳川吉宗の時代を待つまでは、もっぱら輸入でしか入らない”超貴重品”としての位置付けであった。

その後…南蛮菓子の到来などもあり…南蛮菓子への関心と同時に砂糖などの輸入も増えて行くが…まだまだ…南蛮菓子の後を追うと言う事で…砂糖の応用としては付け焼刃であったであろう。

そもそも……茶の湯に大きな影響を与える千利休の時分においては、まだまだ砂糖と菓子として認識をしていた…と言う事では無い事は、利休百会記における“果物”の存在などからも推察を出来るところだが、砂糖の持つ”刺激的”かつ”濃厚さ”甘さは、その後の日本の菓子文化に大きな影響を与えた事であろう。

今…茶菓子を観て…砂糖と無縁な茶菓子は殆ど無いと言えるだろうが…

だからこそ…でもあろうか…?

「茶菓子の甘みは柿を超えてはいけない」…と言う事も、逆に説得力を持つ…と思うのである。

”無制限”に使えるから使ってよい…と言う事は…”侘び””寂び”と言う事からも外れるだろうし……”人との交流”と言う本義からもずれるだろう。

あえて…”制約”を無理に課す必要も乏しいが…

お茶は、主客のせめぎ合い的な部分もある事を考えれば…その当事者との間での”範囲”で甘さを表現しても良いのだろう。

そこは”無制限”と“制限”との兼ね合いの中での

「甘いモノが好きな方には甘いモノ」
「甘いのが苦手な方には甘さを抑えたモノ」…

と言う“何時も通りの表現”にもなるが……”塩梅”と言う事でしょうか。

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