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茶菓子と主題 [菓子]

茶会でも茶事でもだが……大きい所では”懐石料理”や部屋のしつらえなでに目が向いてしまいがちであるが…

実は”茶菓子”が大きな存在である事も心にとめておきたい。

茶菓子の味が美味しい…茶菓子の形が美しい…

など…色々と感じる事はあるだろう。

しかし…実は…そこで「亭主」と「客」との間での”当日の茶席での主題のやりとり”がなされるのだと言う事を心したい。

勿論…”主題”は仰々しいものばかりではないだろう。

「初釜」は…初釜であろうし…
「端午の節句」は…端午の節句であろう…

要するに…通常ではあるが…? 通常では無い…様な何かのメッセージを読み取る…と言う事が出来るか?と言う事でもあるだろう。
“隠れた意図を探る”…と言う事が如何に出来るのか…というのは、古今東西に関わらずの”含意”と言う事だろう。

饅頭食い人形 [菓子]

饅頭食い人形2.jpg

先日のお稽古で使った「饅頭食い人形」の映像です(w
(※ 俵屋吉富謹製)

これが、俵屋吉富謹製と言う所に、一つの価値があるのだと思いますが……
(※ ちなみに「俵屋吉富」さんは、裏千家家元由来のお茶室があるので…どちらかと言うとお菓子は裏千家用の感じのモノが……と言う部分も)

さて…今日の本題は…この饅頭食い人形の由来ですが……

ある時、とある大人が、この饅頭食い人形のモデルになった少年に聞きます。

(^。^)y-.。o○:「お父さんとお母さんのどちらが良い?」
(・▽・):(すかさず、手に持っていた饅頭を二つに割り)「おじさん、この饅頭のどちらが好き?」

と聞き返した…と言う”逸話”があると言う事……


まぁ…茶席での会話に云々はともかくも……その様な「お話」に価値があるのが「日本の伝統」「有職故実」と言う事にもなるでしょう。

単純に、「饅頭上手い」「これどこの?」と言う事では、折角の「お茶」も「お菓子」も無くと言うモノ(w

余談ですが……この俵屋吉富謹製の饅頭食い人形……写真はUPしませんでしたが……
「このナイスな問答をした少年のストラップがついていますw」

それを目当てに購入すると言うのも、一つの楽しみですかな(w

「子供の日」にちなんでのお話♪ (●^o^●)
タグ:俵屋吉富

 [菓子]

ゴールデンウィークにも突入で……あるし……

「お茶」としては…「炉」から「風炉」への変化と言う事もあって、その方面での準備や名残も色々と出ては来るのだが…

5月のお菓子として代表的な物としては「粽(ちまき)」があるだろうか?

そもそもは、中国の屈原を弔っての食べ物であったが日本に渡ってきたと言う事になるが

日本でも当初の目的としては、「保存食」としての位置付けが始まりであったよう。

「灰汁」で米を炊くと言うやり方で殺菌・保存にあつらえた形だが、その後、徐々に甘味化して言ったと言う所だろう。

屈原が自殺(入水自殺)をした5月5日にちなんで、中国でも日本でも、その日に「粽」を食べるのだが……

中国では、元々は屈原の死体を水中の魚が食べない様にと言う配慮(プラス、当の屈原が食べモノにこまらない様にとの配慮)から「粽」を作っているのに対して…

日本では、地上で生きている人達の繁栄や無病息災を祈願しての行事になっているのは興味深い。

さて、「お茶」的な事で言えば……「粽」と言えば…反射神経的に「川端道喜」と言う事になるのだろうか?

加茂川のほとりにある京菓子の名店であり、500年弱も続く伝統のお店ですが……

今更の事であるが…それだけの「長い年月」を「粽」を以て生き抜いてきていると言う所に「京都」らしさを感じると共に…「日本」の深淵を感じるような気がします。




タグ:

本願寺顕如とお菓子の話 [菓子]

本願寺顕如と言えば……「石山合戦」を戦い抜いたと言う事もさておき……

その「石山合戦」の際に、自ら鐘楼に登り鐘を撞いて鼓舞をした…と言う逸話もある方ですが…( ..)φメモメモ

だからこそ…?と言う訳では無いですが、かの(魔王)信長を相手に11年の長きに亘る「石山合戦」を遂行出来た…と言う感じがしております。

この「石山合戦」は第一次と第二次に、都合、分類されていますが…兵糧補給に中った毛利水軍が活躍できた第一次の時とは違い、第二次になると信長配下の九鬼水軍により海上封鎖を行われた結果(所謂「鉄甲船」の使用ですな)……

本願寺勢は、兵糧の調達に苦戦をした…と言う事に繋がります。

さて、この苦境下において……本願寺顕如の考案(と言うべきか…本願寺御用の亀屋陸奥の3代目だとは思われますが…)で作られた「糧食」が、かの「味噌松風」の起こりだとか。

「米」では無く「小麦粉」に注目して、小麦粉からの麦芽糖と味噌で作った「和風カステラ」ですが…

実は、この「味噌」を巧く使うと言うのは、戦国時代では良く見られる事で……かの徳川家康しかり伊達正宗しかり…名前を何と言うかはおくとして(「兵糧丸」)…人間の活動には「味噌」が大事と言う事でもありますね。
(※ ここは、「懐石料理」とも絡んでくるところでしょう)

と言う情勢下で編み出された「味噌松風」ですが……

石山合戦の帰趨も決まり…本願寺顕如が京都に戻った折に、「わすれては波の音かとおもうなり 枕に近き庭の松風」と言う詞を詠み、それが「松風」の由来になった…との事…

(※ もう一説ありますが……本願寺では無く…「在原業平」からみになるので…)

一応の安定を見た(豊臣秀吉の全国統一)世情を観ての一句ですが……その心境や如何ばかり…か? 等と思うのは無粋と言うものでしょうか……

現在では、「懐石料理」に使われる場合もあり……
また、西本願寺御用のお菓子(「御華束」)としての役割もあり……

として、我々の舌と目を楽しませてくれています。(・▽・)/

金団(きんとん) [菓子]

「金団」………金の団子or金の布団…と言う意味を持つとされますが……( ^^) _旦~~

元々の「金団」は、我々のイメージする栗金団のゴールデンな感じでは無く…

唐菓子の「餛飩(こんとん)」(円形で、中に餡を入れたもの)が日本に持ってきた禅僧により、日本で変化がされたモノと言う事であるが、

禅寺での点心をベースに、育っていったと言う点では、ある意味?古典的で由緒正しいお菓子ではあるのでしょう(w

歴史的には、「鹿苑目録」「槐記」(近衛予楽院)に見られたりもしていますが……

「槐記」における”金団”は「大徳寺金団」とも呼ばれるもので、「栗」の代わりにモチゴメと粳米とを糖蜜で練って、クチナシで色付けをしたモノが想像されますが……(●^o^●)

その後の「文化・文政」の頃には「紫金団」と言って、「求肥」をタネにして、餡で包んだり、餡を裏ごししてそぼろ状にしてかける…と言うものも現れました。

この両者ですが、「大徳寺金団」の方は、室町時代からの流れの「茶巾」(京都風に言わば)
「紫金団」の方は、明治以降に誕生する「きんとん」(つまり、今みる栗金団)に繋がっていく様に思えます。

まあ、「お菓子」とは言え………色々と複雑な過程を経ておりますな ( ^^) _旦~~

タグ:金団

タルト [菓子]

「タルト」……と言うのは、ほぼ日本に定着したお菓子でありますが……

その語源が「オランダ語」か「ポルトガル語」のどちらか?と言う争いはありますが、ともかくもヨーロッパ共通語源の「ラテン語」である事には争いはない模様。

さて…日本と「タルト」とのファーストコンタクトは、1647年……

(※ ここで注意しておく必要は、1638年には「天草四郎時貞の乱」、1639年には「鎖国」と言う事でポルトガル船の来航が禁止をされています)

つまり…「鎖国」後の日本に再び「国交回復」を求めてポルトガル船が来航と言う年号になりまする…( ..)φメモメモ

その時に長崎を管轄していた(「長崎探題」)”松平定行”(伊予松山初代藩主)が、ポルトガル船との交渉に当たった折に出された”お菓子”が……

「タルト」と。


松平定行が食した「タルト」は、”ジャム”が間に入っているモノだったようですが……

この味(南蛮菓子)に感動した、松平定行は、その製法を伊予に持ち帰り藩内での家伝としてその味を楽しんでいた…との事。

この際に”ジャム”が”餡子”に変わると言うのが…いかにも”日本風”の変化の仕方でありますが(w

とは言え…ひよんな事から日本に伝来をする事になった”タルト”……

「ポルトガル船」と「松平定行」双方の決死の覚悟があっての事だったと…言う事などを最後に付しておきましょうか。

\(◎o◎)/!

タグ:鎖国 1647年

道明寺(道明寺糒) [菓子]

和菓子の定番とも言うべき「道明寺」……

「寺」と付くように、元は大阪の尼寺である「道明寺」で作られていた保存食に端を発します。

これは、寺の保存食であると同時に、軍糧としての「干飯」としても重宝されたと言う記録が残っているようです。

「寒中30日に限って蒸し、天日で干して作られる」のだが……

時期としては「厳寒」の候を選び…とあり、寺の修行の一つでもあっただろうが…製造も容易では無かった…と言う事。

そもそも…「保存食」としての発端も、元々は信者にお下げ渡しをしていたものが評判になって希望者が増えたために「保存」をして、常の用に備えたのが始まりだとか…<+ ))><<

ま、そもそもはともかくも…その後の「道明寺(道明寺糒)」の品質に対しては、細心の注意を払い…「幾年を経ても変わらない事」「湯でも水でも戻せる事」にプライドを持っていたとう事は、そこに日本的な”精神”を垣間見る事ができますね☆


【道明寺】で作る和菓子としては「おはぎ」や「椿餅」「桜餅」が定番ですが……密かな使い方として”漬けもの”に使う場合もあるやないや…とか。



タグ:道明寺糒

有職菓子 [菓子]

懐石料理や、和菓子の源流とも言うべき料理として”有職料理”と言うのモノがありますが……

その”有職”と言う流れに関連しての”有職菓子”……(●^o^●)

花梨の砂糖漬け.jpg

「老松」の「果琳の砂糖漬け」

果琳を丁寧に砂糖でコーティングして、長期間保存を可能にすると共に、果琳の甘さと砂糖の甘さをバランスよく味わえる様に。

この「果琳の砂糖漬け」での注目は……下(足許)の部分…白い砂糖が”すり砂糖”として、しっかりとしている事に注目…

一見、単純でシンプルな形で、どちらかと言えば平凡なお菓子な感じですが……

しかし、その”シンプルさこそ”……長い伝統と言う「有職」に裏打ちされたモノなのでしょう。

”長く続く事”は、それ自体で尊いと。

甘さの加減 [菓子]

お茶と「お菓子」と言う関連で考えるのであれば……

それは、美味しんぼでも出てくる事であるが、「干柿の甘さ」を超えてはならない…と言う事が”不文律”的な部分として機能している部分もある。

とは言え…なかなか、「干柿の甘さ」と和菓子とのバランスを考えると、何気にお菓子作りは難渋をするのではないか?と思ったりもする。

ま、これは京菓子と江戸菓子とでも違うと言う事があると思うが、江戸菓子の方が総じて甘さのインパクトは強いモノがあるだろうか
(※ 菓子だけではなく、全般の味付けにも言えるのだろうが)

「ねりきり」(関西では「こなし」ですが)の甘さ辺りで考えると、浮き彫りになってくる事があるが……

「京都風」の芯のある感じの「ねりきり」(こなし)と
「関東風」の均一な「ねりきり」と言う感じに違いがある様な気がする

広大な関東平野と言う視点と、京都における1000年のモザイクの調和と言う視点とからすれば

その、歴史的・文化的な背景が、和菓子に投影されているようで面白いと思う。

寒天 [菓子]

「寒天」…と聞いて、お茶にトコロテンでは無いですよ?と言う話にもなりそうだが…

色々とお茶にまつわる食べ物を調べていると…何気に寒天が茶菓子に大きな役割を果たしている事が分かる。

その代表例としては「羊羹」(・▽・)/

”江戸時代の寒天の発明により練り羊羹が完成”と………

なるほど…?

寒天が出来る前は、”練り羊羹”ではなく”蒸し羊羹”と言う形であった訳ですが……

これは、「好みの問題」と言う事になるとは思いますが…一応は「練り羊羹」の方がしっとりとして美味しい♪

と言う事にはなるのだと言う点と…

「練りモノ」と言う事で、お菓子の種類にバリエーションが増えたと言う事は言えるでしょう。
(※ 「錦玉」の様なモノですね)

さて…?

その「寒天」ですが…その名付け親が「隠元禅師」(黄檗宗)であると言うのは、ちょっとした驚きでもあります。

どうも…「寒天」を見つけた人物が、隠元の元に相談に行った際に、「名前は?」と問われて「まだありません」と言う事で…「寒天」と名付けられたと…

多分に、外に店晒しになったトコロテンから見つかった「寒天」なので…と言うのが名称の由来だとは思いますが……(w

と言う「寒天」ですが……

おもな産地(生産地)としては、長野県と岐阜県が……

長野県では、棒状の「角寒天」が…岐阜県では、糸状の「糸寒天」(細寒天)が…と

”和菓子的”には「糸寒天」が使われるようですが……( ^^) _旦~~

どちらの寒天であれ…冬の寒さを経て蓄えられた”凝固の力”ですから(w

その恩恵を受けて出来上がる”和菓子”に感謝をしなくてはなりませんね♪



タグ:糸寒天

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