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本歌取りと詠歌大慨 [思潮]

先日の「懐石料理」で”本歌取り”の事などに触れたが、実は、この”本歌取り”は…れっきとした「歌論」に準ずるモノであったりもする。

「茶の湯」「茶道」の理論的な裏付け云々は兎も角も……紹鷗と「連歌」と言う文脈は、それなりに影響があるモノだとされてはいるので……この「歌論」の「本歌取り」を持ってくる事は、まあ許容範囲と言う事になるだろう。

日本人、特有の発想(?)と言う事になるのかも知れないが……
「形は古く」「心は新しく」と言う事の矛盾と止揚を巧く繋いでくれているのは、間違いが無いような気がする。

この日本人をして「応用の才」を光らしめているのが、この「本歌取り」にあるのだとすれば…藤原定家も、さぞかし満足(?)では無いだろうか……と、後世の出来の悪い人間である私などは思ってしまう訳である…(・▽・)

さて…?

実は、この「本歌取り」の発想が生きているモノとしては……「立礼」「略点前」があげられるだろう。

”正座が出来ない人”であっても「お茶」を楽しめる様に…
”道具が不足した時代”であっても「お茶」を楽しめる様に…

そう言う「背景」をベースに世にだされた”シリーズ”でもあるが……

その辺の発想と具現化は、正に「もったいない」を地で行く「王朝文化」に由来を求める事も出来るだろうか♪

……と、そんな”怪しい理解”をしつつ「詠歌大慨」を噛みしめたりするのである。

「情は新しきを以て先となし詞は古きを以て用ゆべし」…\(◎o◎)/!
タグ:詠歌大慨

我思うに…… [思潮]

「コギトエルゴスム」……大陸合理論の”ルネ・デカルト”の「我思う ゆえに 我あり」であるが……

タイトルとの関連での座興(wですが……

今のこの時分における、自己の見解としては……(かなり恐れ多いが…(・▽・)〆)

「お茶」や、その装置である「お茶室」と言うものは、そもそもの安土桃山時代においては

”命を競り合う男の集い場”であっただろうに……と。

無論、そこは、「謀議」であったり、「商談」であったり、「縁談」であったり……と様々であろうか?と思うが

かなり真剣なやりとりが行われていたのではないのか、と推察する。

「待庵」の狭さもさる事ながら、その光の配置などもそうであろうし、また、「楽茶碗」の「黒」「赤」と言う生命感・生命力に結びつくであろう、その配色からも、「命(生命)」と言うものに対峙をしていると、その造りが良く分かる様な気がする。
「赤」と「黒」と言う事で、まさにスタンダールの「赤」と「黒」と言うジュリアン=ソレルの話がよぎるのだが…(「赤」は軍服、「黒」は僧侶の象徴)
少なくとも、「安土桃山」の「お茶」に関しては、「常在戦場」であっただろうし、「明日命が果つるとも」と言う事を日々覚悟しての「お茶」であったであろうから、それはそれは”引き締まったお茶”であったろう。

「点前」や「手順」と言う事に重きを置くのは、もちろん大事な事ではあるのだが……
やはり、一番に大事なのは「魂と魂のぶつかり合い」=「心映え」と言う事になって行くのではないかしらん?
と……… ”あくまで、今の時分の 私めは想ったりもする訳です”

自分が思うほどに良き茶であったかどうかは分からないし
他人が思うほどに良き茶であったかどうかは分からないのだが…
しかし、「お茶」と言う共通言語を通して「練り上げて行く」……そこの想いが真剣で尖っていれば尖っているほど…その「お茶」は”良かった!(・▽・)♪”と言う事になる様な気がします。

「一期一会」と見つけたり……(「死ぬことと見つけたり」の援用ですなw)


「おとこだから~~~~」等と言うのは、今のご時世にはソグワナイのは、百も承知ではありますが…
しかし、「野郎だから」こその「茶道(お茶)」と言うのも、ある様な気が致しますので(w

ま、今宵はここまでに致しましょう♪ (ソフトバンクのカイ君のお母さんの名台詞ですな w 「武田信玄-NHK大河」)

宇宙 [思潮]

お茶自体は、「楽しく」「美味しく」と言う事がモットーだとは思うが…
”お稽古”や”一つ一つの所作”と言うものは、むしろ「厳しく」「粛々と」と言う事が背骨に位置する様な気がします。

点前の練習をするにあたって…色々と準備をしていく事は当然ですが…

「茶巾を用意する」
「お茶を掃く」→「お茶を盛る」

この2つの事ですら、集中して臨むのであれば、物凄いエネルギーを使います。

そして、肝心の所作……

”釜鳴りの音”を聞きながら…静寂な畳の上で点前に集中をする……

その静かな時間の中で、自分と向き合う事はもちろん、全体の空気や諸々に囲まれた中で
”何時もとは違う感覚”を覚える部分であります。

”集中が徹底する”とでも言うのでしょうか?

やり終えた後に、物凄い@心地よい疲労を感じますが…
それは、何やら「宇宙」に囲まれた?
いや、自分の眼前に何か「宇宙」らしきものが広がっている?
かの様な、不思議な感じがします。

国宝である「待庵」……これをして「一つの宇宙」と書かれていた何かの本か雑誌があったのを思い出しました。

「茶道」を通じて「宇宙へ」と言うのは、少し大げさなのかも知れないですが……

いつもとは違う、感覚や内面を味わう事が出来る…と言うのも、一つの醍醐味であるような気がします。


タグ:茶道 所作 待庵

懐石料理と美味しんぼ [思潮]

また今回も、茶道と直接の関係が無い話ではあるが……

「美味しんぼ」は、度々、茶道と関連のある話が出てくるが、「お茶」「茶道」を、ある意味全面に持ってきたのが、主人公”山岡”と”栗田”の結婚式の場面ではないだろうか?

”究極のメニューの思柱”を「懐石」に求めると言う事を宣言した場面ですが……
(第47巻)

もちろん、その場面場面で語られている事、一つ一つに意味合いがあり
「なるほど」と頷く場面が多々ある部分なのだが……

「世界の料理」の中で「単なる美食趣味に走る事無く、主人の客に対する心つかい」と言う精神的な主柱が「懐石」にある……

と解くシーンでもある。

まあ、これは「美味しんぼ」と言うマンガにおける、一つの約束事を宣言したに過ぎないとも言えるけれども…?

後に続く……「究極のメニュー」「至高のメニュー」も「未完である」と言うくだりをも併せて読んで行くと
「芸術」や「日々のお茶」と言う事について、非常に”示唆的な”事を想起させるな?とも。

「人をもてなす」と言う事に、完成もなければ、終わりもない…と言う点は、その”示唆”に連なるものの一つではあるな、と…改めて思う所。

「約束事」とのバランスを考える事……それが、「お茶」の醍醐味の一つでもあると思ったり…(・▽・)♪

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