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数江教一(瓢鯰子)part2 [数寄者]

戦後の日本の茶の湯において、一種独特の地位を占める“数江教一”と言う人物。

その行動力の及ぶところ…「自ら釜を作る」「自ら作陶をする」「自ら茶室を作る」「自ら茶菓子を作る」「自ら懐石を作る」………とほぼ、全ての分野において”自ら”と言う事を貫徹し得た稀有な人物とも言えるだろう。

それは「亭主」と「客」との交わりにおける一期一会に由来する”直心の交わり”と言う事にもなるのだと思うが……

さて……翻って考えてみるに…(--〆)

”自ら”と言う事を貫徹していくと言う事が、今の日本人においてかなり難しい…

それは…「釜を作る」とか「作陶」であるとか…の技巧的な難しさ云々と言う事ではなくて…

”作る”と言う事の前提をなす「感じる」とか「掴みとる」と言う能力の函養と言う部分について…????が灯るからである。

これをお読みになっている方には、無縁の事ではあるかと思うのだが…

例えば…今の小学生の調理実習などにおいて「保護者同伴」で行う場合がある……

などと言う事を聞くならば…今後の茶の湯や茶道を担っていく”若手”に対して影響が無いとは言えないのではないだろうか?


とりあえず…(表千家においては)釜の蓋を自分の手で取る訳で…そんな”危ない事”云々…となりかねない契機を含んでいる…と言う事にもなる。

”自ら”と言う言葉に含まれる重みは、そこに自分の労作によると言う意味合いを多分に含むものであり…だからこその「馳走(御馳走)」である…と言う”一つの原点”に辿りつく事が出来るのであろうか?……

と多少の憂いを想いつつ…「数江教一」の本を観るのである。

数江教一(数江瓢鮎子) [数寄者]

数江教一と言う人は、なかなかに稀有な人であろう……

大学の教授でありながら…「茶の湯」の探究に邁進した姿勢には圧倒をされるものがある。

自ら作った「釜」「茶杓」「茶碗」……に留まらず…

自らの設計による「茶室」…”香積庵”(東大寺の長老、清水公照師が命名)

と、茶の湯(茶道)に関するあらゆるモノを自作で具現化していっている事のエネルギーと作為には、正に「茶の湯道楽」の観を呈しているだろう。

「茶」を志すのであれば…その位の気概を持ちたい…との心境である。
(※ まさにNHK大河の梵天丸もカクアリタイ…)

日本の思想研究の第一人者であると同時に、茶の湯の世界への探究や料理の探究を進めた、その姿勢に…古のギリシアの思索家の姿を重ねるのは私だけだろうか…?

「万能の人」であると言う事は、無理であるとしても……いや…絶えなる未完成と言う事に、一つの真髄があるとしても…そのエネルギッシュな耽溺ぶりは常に、高い山を見越しての登山でもあったでしょう。

先人の知恵と行動に感謝である。

井上馨(井上世外) [数寄者]

近代的な「数寄者」の第一人者(文字通り…始めての人)として挙げられる「井上世外」

勿論…「井上世外」と言う名称よりは「井上馨」と言う方が通りは良いでしょう。

【長州閥】であり、長きに亘り「外務卿」として君臨。

名実共に、明治維新の元勲であると共に、元老として絶大な権勢を奮う……

と言う方ですが…その功績云々と言うよりは…? その人となりを書いて行きましょう。


【良くある誤解】

長州出身の維新の功労者と言う事で、「松下村塾」の出身と思われがちだが…実は「明倫館」の出身。(「明倫館」は藩校で、「松下村塾」は私塾)


【芸者の鏡で命拾い】

第一次長州征伐の折に、藩論の趨勢からか反対派襲われたが…その時、懇意にしていた芸妓の中西君尾から貰った手鏡により、急所を外れて命拾いした……
(維新の志士と芸者と言うのは、言わばセットの様な部分もあるが……まぁ何れにせよ…助かったのなら芸者遊びも良かったと言う事でしょう w)

【秘書はシーボルトの息子たち】

自身の秘書は、かの有名な”フィリップ=フランツ=フォン=シーボルト”の長男と次男がなっている。

【美術品蒐集】

欲しいモノがあった時に「是非欲しい」と言って貰ってきたと言う……半ば強引なエピソードがある(※ これに関しては明治天皇とのエピソードもある)

その甲斐があったかどうか(?)は不明だが(w

東大寺四聖坊にあった「八窓庵」が、取り壊されて風呂屋に薪として払い下げられようとする所を買い取ったり……

「十一面観音像」・「孔雀明王像」・「虚空蔵菩薩像」などの仏画
「徽宗皇帝桃鳩図」・「日観葡萄図」など宋元画

「松島」(茶壺)

等を蒐集するに至っている。



\(◎o◎)/!

勿論、自身が「三井系」との関連から「益田孝(鈍翁)」など、一連の「数寄者」に影響を与えた事は間違いが無い事は、特筆に値するし(w

かの”君台観左右帳記”の写しを持っていたのも”彼”であり…その、散逸が防がれたと言う面での評価もしてみたい(w

畠山即翁 [数寄者]

「数寄者」と言う分類としては、最後半に位置するであろう「畠山即翁」

彼の行った「茶事」や集めた「道具」を見ていると、色々と面白い (・▽・)♪

勿論、「財界」の大立者でもあるだろうし、「益田鈍翁」の系譜にも連なる人脈も要していたであろう事も踏まえてだが……

かなり、”自由な雰囲気”をその”茶風”に感じる所ではある。

それは、即翁が能登の銘門、畠山家の出身であると言う事や帝大を出て財界で一つの地歩を築いた

と言う事が背景に察せられる所ではあるが……?

しかし…色々と即翁の足取りを辿ってみるならば…そう、順風満帆であった訳でも無い…(;一_一)

むしろ…? その順調で無かったが故の経験をしているからこその「自由」と言う風に考えてみたいと思う。

また、畠山記念館のしつらえや、茶事の道具の取り合わせなどを見ていると、「北陸の景色」を想わせる事が

多々ある。

”白く、しかし、薄っすらと灰色の基調が見え隠れする背景をキャンバスとして、そこに何を置くのか?”

と言う風に、個人的には感じる所……

多分に…?

”長谷川等伯の松”と良く良く、親和をするのではないか?と思うのであります。

(・▽・):「井ノ口ポンプは良いポンプ♪」


松永安左エ門 (耳庵) [数寄者]

松永安左エ門と言えば、数奇者の代表者としての小田原三茶人と言う位置づけになるが……
それは、”お茶”と言う事であって、本業は「電力の鬼」とまで言われた人物。

ある意味、偏屈でもあるし、自己の信念を貫いた人物とも言えるが
逆に言えば、その”信念”や偉業を成し遂げる背景としての”茶道”があったような気がしてならない…

お茶をやっていて、体感する事ではあるが…
その「没入感」と言うものは、また、一種独特なものがある。
これは、スポーツ等をやっている人は、より鮮明に分かるのではないか?と思うのだが、
”鬼気迫る”……
その様な迫力を「お点前」から感じる事は、幾度もある。

無論、”鬼気迫る”様な点前をする事は、「主客一味」と言う事から言えば、本末転倒なのだが…
しかし、実は”茶道”をやる事で、その様な「集中力」を煉ると言う事は十分に可能であろうし
また、実際に感じる所ではあるので……
その意味での「政財界」のお歴々が、「お茶」に傾倒をすると言うのは、一つ頷けるものがある。

”お茶”の醍醐味は数多くあれど、その一つとしては、「亭主」と「客」との間で”練り上げて行く”と言う所だろう。
これの度合いや、質感、その昇華によって、「良いお茶」であったかどうか?と言う部分のかなりが影響をすると思う。
「美味しいお茶」とは、味覚的にも美味しいお茶を指す事はもちろんの事だが、「亭主」と「客」との真剣に向かい合う様をも指している事は言うまでもない。

「電力の鬼」と言われた 松永安左エ門 が点てたお茶がどの様なものであったのか?は
今となっては知る事は難しいわけですが(体感する事はむずかしいわけですが…)
しかし、物凄い渦に対峙する…が、決して、煩わしい訳でも、怖い訳でも無く…
静かに圧倒される様な風情を醸し出していたのでは無いのかな?……と、

まあ、あくまでも想像の域を出ない、戯れ言ではあるのでしょうが(?)
多分に、戦国期の「武将」の茶と似た様な雰囲気を感じる所です。


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