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懐石料理に関する一考察(part3) [懐石料理]

先日、懐石料理が「フランス料理」に影響を与えた事を書いたのだが……

個人的な試みとしては…「洋風」或いは「フランス風」の”懐石料理”と言うモノは出来ないのか?
と言う事に、かなり大きな興味を持ってはいる所である。

勿論…巷にある「洋風懐石」と言う事では無くて…「お茶事の懐石料理」の中に「フランス風のモノ」
(或いは、「ロシア風」でも「ドイツ風」でも「トルコ風」でも「中華風」でもだが…)

ただ、この辺は…「約束事」と言うものと無縁では無い(?)、懐石料理の事なので……

「美味」と言う事と「茶懐石」と言うモノとが折り合う部分を探すのは難しいのかもしれない……(;一_一)

それは…「フランス料理」を始めとしての”各国料理”は、どちらかと言えば…「ソース」を重視するモノが多く
(※ ソースで無ければ「肉汁」と言う事にもなるが……)

「着物」や「木の器」(例えば、八寸など)の様なモノの扱いを考えると、機能的に難しいと言う事が出てくるだろう………

そもそも…?

「茶懐石」が、「お茶を美味しく飲むためのセレモニー」と言う“前座的”な役回りと言う事からすると…

なかなかに、「洋風懐石」「諸国懐石」を盛り込むと言うのは至難な事ではある……<+ ))><<

まあ…「信長の野望」もお茶をやり始める一つの切っ掛けではあるが……「フランス料理」との折り合い…

と言うのも、一つの原動力ではあるので…ユルユルと考えて行きたいとは思う。

懐石料理に関する一考察(part2) [懐石料理]

懐石料理と言えば……「お茶」をやっている人間であれば、ある意味馴染みがあるモノだが……?

しかし…その懐石料理は、ただ「お茶」の世界…だけのモノでもない……

まぁ…「美味しんぼ」などの「究極のメニュー」が「懐石」を基本とする…?と言う事からも

色々な料理への影響を与えたであろう事は想像が出来る。

その辺の影響が花開くのは、今後の事であろうから、それを楽しみにして行きたいが(w

実は……「懐石料理」が大きな影響を与えたモノと言えば……

“フランス料理”……(・▽・)/

今のフランス料理の系統は、色々なモノに分類が可能ではあるのだと思うが……

間違いなく…今のフランス料理に影響を与えたとされる「ヌーベル=キュイジーヌ」は

「懐石料理」の影響を受けております♪

「ヌーベルキュイジーヌ」の旗振り役であった”ポール=ボキューズ”が、”辻静雄”との出会いによって

花開いて行きました。

そう、何を隠そう”吉兆”の「松花堂弁当」にインスピレーションを受けた……と言うのが

”新しいフランス料理”の始まりでもあったと……(^◇^)

まあ、その「ヌーベルキュイジーヌ」や、その後に訪れている…「革新的なフランス料理」…とやらが…

如何な塩梅か?と言うのは……また別の話ではありますが……(w

「恐るべし懐石料理」
「恐るべし松花堂弁当」
「恐るべし吉兆」

と言う感じであります……(・▽・)/




幽庵焼き [懐石料理]

懐石料理…を始め、会席料理や会席割烹などでも良く出てくる「幽庵焼き」……

「鯛」「鰆」「カマス」などの魚に、「醤油」「味醂」「酒」を合わせたタレに柚子の風味を入れたものを塗ってから
(漬けこんでから)、そのタレの水分を切ってから、焼いたモノ。

これを、発明した”北村幽庵”にちなんで「幽庵焼き」と言う………(・▽・)へぇ~

ちなみに、「桃の白桃焼き」なんかも同系統ですね。

さて……この「北村幽庵」と言う人物……どうやら…江戸時代の「茶人」と言う括りに位置するらしいのですが…

どうやら、千宗旦の有力な弟子である「藤村庸軒」の門弟であったと言う話……

”美食家”であり、モノの産地を答える事が出来た……と言う味覚の持ち主だった様で
(※ その手の話としては、応仁の乱で有名な「細川勝元」も、どこの川の鯉かを当てられたと言う逸話が♪)

その”飽くなき食への情熱が”…「幽庵焼き」を創出せしめたのでしょう。

さて、この「北村幽庵」……別称を「堅田幽庵」とも言うそうで…

この「堅田」と言うのは、今流行りの「近江」にある所で……

色々と面白い事が(w

何やら、「足利将軍家」「延暦寺」「本願寺」「織田信長」と言った権威・権力との関わり方が色々と……

ま、今、「日本橋の高島屋」では「近江展」をやっておりますが(毎年恒例ですが)

その物産展を見れば、非常に「食事の美味しい所」……もとい……「物資の豊富な所」と言うのが分かります

琵琶湖の恩恵を受ける、滋賀県…近江の国の水運のキーポイントであった「堅田」……

そこの「豪農」だったと言う「北村幽庵」の背景が何となく(?)わかる様な気がします…(・▽)

かの”ルイス=フロイス”にも「甚だ富裕なる町」とされた「堅田」が生んだ「幽庵焼き」……

それは、中世からの時代を超えた料理でもあるのでしょう。




タグ:幽庵焼き

懐石料理に関する一考察(part1) [懐石料理]

懐石料理の勉強と言う事で、色々と料理本や雑誌…果ては「表千家の同門」に出てくる献立なども見ているのだが……

その献立の中で、今ちょっと気になるのが…「味噌汁(こんな事を書いてはいけないですがw)」の一つに「落とし辛子」と言うモノがある。

要するに「味噌汁」に「辛子」を載せたモノと言う事になるが……

どうも、”定番のメニュー?”の様な風情が漂っております…

たまたま、”武者小路千家の懐石”の本を見ても…献立として「落とし辛子」が出ていたので…

多分に”共通性の高いメニュー”なのだと思いますが……(・▽・)

何故に「味噌汁」に「辛子」を入れるようになったのでしょうか???

と言う事を調べていたのですが………ですが………出てこない(w

(途中で、趣味悠悠に出ておられた麻生圭子さんの書かれた記事?ブログなどが出てきて……違う事でフムフムと……「趣味悠悠」の撮影でのロケ弁当の話などは興味深いものが……w)

と言う事で……誠にもって……良い加減の誹りを受けかねませんが…”調査中”と言う事で……(w

:「○○殿の前を、大きく黒と黄色いものが遮っていたのでした」……
(@武田信玄の若尾文子風に)



懐石料理に関する一考察(part0) [懐石料理]

元々食べる事に関心が人一倍ある事もあって、ここの所は懐石料理や会記と言った物を見たり、調べたりしているのだが……

そんな中で、目に付く記述が…(・▽・)
「明治までの懐石料理は、さほど豪華では無かった。大正期に入って電気をふんだんに使えるようになって懐石料理の豪華化が始まった」…と。

なるほど…”文明の利器の電気”がターニングポイントでしたか……\(◎o◎)/!

そう言う事を考えてみれば…?

東山文化の時代、利休の時代、そして江戸時代……と現代の生活とでは、余りに隔絶の感がある訳です。

「蝋燭の暗闇」の中での「お茶」と「電気煌々」の中での「お茶」とでは
“美的な感覚”や”日常の感覚”に物凄い差があるでしょう。

そう、色々なモノがふんだんに手に入る訳では無い…その様な時代に確立(流行った)された「お茶」と
今の様に、何でも手に入る時代の「お茶」とでは、その根底からの差異と言う事にも目を配って行く必要があるのでしょう……

そう言う観点で…遡ってみるならば…?
様々な会記に載っている、様々な食べ物も、”当時としては、贅をこらしたもの”であったのかもしれません
(いや、きっとそうでしょう (・▽)b)

まあ、「一つの視点」ではありますが……「電気の有無」と言うのは、かなり大きな視点な気がします☆

近衛家熙の茶会  [懐石料理]

先日の「予楽院」様の続きと言う感じですが……

これも、茶道雑誌「なごみ」の記事を参照にしつつですが

後水尾天皇の第16皇子の「一条院門跡尊證法親王」を迎えての茶会での献立

「ご飯」
「とろろ:青干菜:なめ茸」(お椀)
「牛蒡煮:しぼり湯葉」
「焼き豆腐:九年母」(ちなみに九年母と言うのは、喜界島の特産の柑橘類)
「浅草海苔と味噌を塗って焼いた頭芋」(頭芋とは、八つ頭)
「土筆:嫁菜」(吸い物)(嫁菜とは、野菊の一種)
「微砂糖&小豆:唐土餅:クワイの煮〆」(お菓子)
「削り昆布:牛肥:つまみ羊羹」

と言うラインナップ……\(◎o◎)/!

まあ、奥様が後水尾天皇の皇女である「予楽院」様からすれば、言わば”御兄弟”をお迎えしての茶会であった事になりますが……
江戸も落ち着いた時期と言う事であってか、なかなかに豊富な品数ではあります。
「しぼり湯葉」「焼き豆腐」「芋頭」と言う辺りは、何となく「お酒のおつまみ」的な感じもしますが
その味付けの塩梅が不明(?)ではあるので、どの程度の薄味かは分からないですが
その後の「お菓子」等と併せると、結構「濃淡」のハッキリした感じの組み立ての様に思えます……

「予楽院裂」等もそうですが…“意外に”ハイカラな感じを受ける「予楽院」様ではあるので
江戸期の饗応文化の影響もあったのかも知れませんね(w

もちろん、「予楽院」様は「金森宗和」の薫陶を受けると共に
同じく後水尾天皇の14皇子である「興福寺門跡一条院宮真敬法親王」の流れを汲む「公家茶道」の一つの道標を作られた方ではあるので、その部分の”懐の深さ”と”美意識”とが融合した一つの形でもあるのでしょう。

何れにしても、もし可能であるならば、一回は「見てみたい」内容の懐石料理ではありまする。

松屋会記の懐石料理 [懐石料理]

有名な「松屋会記」の精進料理がカラー写真で載っている雑誌を発見 (・▽・)/

【一の膳】
「ウドとキュウリの酢の物、クルミ煮、牛蒡煮、煎り昆布、芹のおひたし、ワラビの汁モノ、梅干し、塩、ご飯」

【二の膳】
「生麩のお造り+クルミを添えて、平茸汁」
「シイタケ、きくらげ、角又海苔、蓮根、岩茸」(八寸)

【菓子】
「煎り餅、塩コンブ、柿、打栗、ミカン」

【中段】
「羊羹、焼き山芋」

【後段】
「煮そうめんの柚子餡かけ、白菜の甘酢煮、シイタケの甘煮」

が載っておりました……「グラフィック茶道:なごみ」2007年3月号参照。

まあ、当時の懐石料理が出ているのは非常に面白いですが……
「平茸汁」や「羊羹」と言う部分に、”贅沢さ”を感じますが、やはり「柿」「栗」「胡桃」と言う果実(木の実)
が使われていると言う事に注目でしょう。

今の味覚に相応のアレンジは必要かと思いますが……でも、今でも十分に通じる感じはします。
(色々と微妙な様式の違いはあるが…)


タグ:松屋会記
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